| 第一声をなんていおうか迷ったのだが、「こんにちは」じゃ当たり前だし、「ハーイ」じゃ軽すぎる。「やっほー」もヘンだ。ここは意表をついて、「ヘロー」というのはどうだ、うん、こいつはいいぞ。「ヘロー」で入って、ラフな乗りでいってみよう。 |
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| ヘローッ、ビデオ者の田村信だよおーん。今回からおもしろ映画ビデオ紹介のコーナーを担当するんだにょーん。みんなちゃんと見てにゃーんっ。逃げちゃやだっちゅーーんっ。ええーい、やかましわいっ。 |
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| まず紹介するのはこれよん。「踊れトスカーナ!」('96 伊)。この作品は本国イタリアではこれまでの映画興行記録を塗り替える大ヒット作となったのだが、日本ではコケた。なんじゃそりゃ。あかんがな。 しかし地味ながらファンが結構いるのだ。なんたって、主演がレオナルド・ピエラッチョーニだもの。なんちゅう名前じゃ。辛口のチリソースみたいやな。 この日本では誰も知らないピエラッチョーニは、監督・脚本も兼任しているのだ。舞台はイタリアののんびりした田舎町。真面目な会計士・ピエラッチョーニは父とちょっとヘンな弟とレズの妹と暮らしてたりする。祖父はひまわりに囲まれた家に独りで住んでいて、声はすれど姿は見せない。 この町にスペインの小さな舞踊団がやってくるのだが、道に迷った一行はピエラッチョーニの家に宿泊することになる。踊り子5人のなかの1人にピエラッチョーニが一目惚れするのだ。 |
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| 牧歌的ムードと優しさに包まれた恋愛映画で、ユーモアセンスに溢れている。ラテン系のフラメンコギターが奏でる音楽がシビれるくらいに素晴らしい。“ランバダ”もそうだが、あの哀愁を帯びたラテン系のメロディーラインは、大きな転調がなく、いわば全編がサビだ。これは結構人間の中枢神経を心地よい空間に憩わせる。 なかでも、この映画の主題曲は傑作だ。「ううっ。し、シビれるっ」 |
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| 予告編を見るには本編以外のビデオで見るしかないのだが、これがまた素晴らしい。別にピエラッチョーニが編集したわけではないけども、“いいとこ取り”の画面は面白そうだし、バックに流れる主題曲は、やはり強烈なインパクトがあって、「おっ、いいじゃんっ」てな具合で引きつけられる。 “2人の恋をひまわりだけが知っていた”などというロマンチックな惹句(じゃっく)を見せられた日にゃ、「ううーむ、観なければならんっ」と、“向こう”の思惑通りその気にさせられる。 「万が一つまらなくても、この音楽をじっくり聴ければ損はない」 と、ヘンな損得勘定を抱かせる映画も珍しい。予告編を見る限りでは笑えて泣けそうな感じもするが、“泣きラブ”ではない。 |
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| 恋愛映画には必ず“愛情の危機”なる場面が用意されていて、ここにドラマを組み込むわけなのだが、なんだかウザくて、「ええーい、ついていけんわっ」という映画も結構多い。 確かにそこらの起伏がなければないで、また、あほうみたいな恋愛映画になってしまうのだけれども、ピエラッチョーニはこのフラストレーションの場面をフレキシブルな感覚でもって哀愁を漂わせつつも笑いに昇華させることに成功している。 もっとも笑いに重きを置く映画なら“愛のピンチ”の舞台は最大の笑わせどころとなるのは当然なのだが、ピエラッチョーニは笑いのみを追及しているのではない。 主演女優ロレーナ・フォルテーザも魅力的だし、他の踊り子もせくしいだ。一途な好青年役のピエラッチョーニも濃すぎず、薄すぎず、やや間抜けぶりにシンパシーを抱かせる。“毒”を排除した映画は、ほのぼの心が安らぐ。これがピエラッチョーニの狙いだ。 |
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| ただ、これだけだと見ている途中で「面白いんだけどイタリアの映画興行記録を塗り替えるほどのものか?」との疑問もちょっと感じたりするが、答はラストにあった。最後のほうはモノローグ主体で、パタパタッと話がまとまる。ここが実にセンスがよくて画もムーディーだ。 そしてラストの“絶妙の間”のあとに例の曲がかかるのだが、この一瞬に、ぞくっと感動する。“話”の全てが凝縮されたラスト一瞬の“ぞくっ”を楽しみに、もう一度見直してもいいなあという気分になる。 興行記録を塗り替えるほどの映画は、リピーターの存在は欠かせないのだ。イタリア人はみんなエグい映画が好きなのかと思ってたら、こんなのも好きだったんやな。 |
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| さらに、普通、映画はエンディングロールが終わると同時に音楽も終了して一巻の終わりとなるのが当たり前だが、この映画は長々と続くエンディングロールが終わり、画面が真っ暗になってもなお1分間も音楽が続く。よっぽど、曲に自信があるのだ。1分は結構長いぞ。歌謡曲なら、そっくり“1番”を歌いきれるぐらいだ。 映画館でエンディングロールが終わったあと、なお、1分も真っ暗な画面を観る人間は少ないと思うけども、ビデオ鑑賞で真っ暗なテレビ画面を凝視しながら音楽に聴き入る図もちょっと異様だ。最後の最後まで聴かせてしまうこの曲が憎い。意図的に本編終了後1分間も真っ暗な画面に音楽を流す映画は後にも先にも『踊れトスカーナ!』だけだ。 |
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| だが、しかあーしっ。逆バージョン、つまり映画の冒頭、1分間真っ暗な画面に音楽だけを流す映画はちゃんとあるのだ。それは『鉄砲玉の美学』('73 監督・中島貞夫、主演・渡瀬恒彦)。やくざ映画全盛期に東映のスタッフ、キャストがアート映画を多く排出したATG(アート・シアター・ギルド)に出向して作り上げた“ばいおれんす青春映画”だ。 主演の渡瀬恒彦は、当時、血気盛んなチンピラやくざを演らせたら間違いなく日本一で、これが組の命を受け、鉄砲玉となって、抗争のきっかけをつくるために敵地で暴れまくる。昔からあった“鉄砲玉”という言葉の隠語としての意は、この映画で世間の認知を得た。 「鉄砲玉はなー、相手の懐に飛び込んで、よおー弾けるのんがええんや」 あ〜〜、恐ろしい恐ろしい。脚本は傑作『暴動島根刑務所』('75 東映)をはじめ、いくたの名作を生み出し、テレビでは必殺シリーズの中村主水や念仏の鉄を作り上げた“定石破り”の鬼才・野上龍雄。この隠れた快作の出だしが、やはり真っ暗な画面に強烈なドラムに乗って1分間歌だけが流れるのだ。こっちは、なんとロックだ。奏でるは伝説のロックバンド「頭脳警察」! |
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| いまでこそ、『新・仁義なき戦い』('00 東映)の音楽を布袋寅泰が手がけたりするのだが、当時のやくざ映画としては、異色中の異色だ。歌詞がものすごい。 “ふざけるんじゃねえぞ てめえの善人ズラを ふざけるんじゃねえぞ いつかぶっ飛ばしてやらあ” ぶっ飛ばしてやらあ、などという品の悪い歌詞は当時のロックシーンにおいてもラジカルすぎるぜ。この名曲は、LP『頭脳警察U』のA面トップに収められていて、私はもちろん買った。 “出だしの真っ暗な画面でのロック”という意表をついた“つかみ”は、中島監督が意図した冒険だが、独立プロのATGだからこそ成しえた荒技で、“実家”の東映では間違いなくムリだった。 |
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| びっくりしたのは、2番館、3番館へセオリー通りのやくざ映画だと思って観にきたおっさんたちだ。 「なんじゃい、こりゃ」 「うるさい音がするのに画面が出んがな」 昔の2番館、3番館あたりはいきなりフィルムが切れたり、フィルム交換が遅れたりするトラブルがたまにあった。長い1分に、「こりゃ、何かのミスやな」と勘違いしたおっさん何人かは、それこそ「ふざけるんじゃねえぞ」とかいいながら後ろを振り向き、映写口を確認していた。 何見とんじゃい。ちゃんと前向いとかんかいっ。曲が2番に入ったあたりからようやくタイトル・クレジットが出てくる。こんなに長い冒頭真っ暗映画も後にも先にもこの『鉄砲玉の美学』だけだ。 |
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| 『踊れトスカーナ!』と『鉄砲玉の美学』。全く相反する水と油くらいポジショニングの違う映画だが、どちらも頭とお尻は画が見えず、名曲のみぞこだまする。 それじゃ、また見てねえ〜〜んっ バーイッ 田村信HP http://www.c-pro.org/ |